« 発作の記録④ | トップページ | どうしてあの時。。。 »

発作の記録⑤

発作の記録①

発作の記録②

発作の記録③

発作の記録④

2009年5月8日

娘の満1歳の誕生日だった。

私のお腹に赤ちゃんがいると知ったのは2007年の9月

チャマが我が家にきて、2ヵ月後の事だった。

10年以上子宝に恵まれなかった私たちにとって、この上ない喜びだった。

チャマの命を助けたから、チャマがこの子を運んでくれたんだねと、この妊娠を『チャマの恩返し』と呼んでいた。

娘を出産し、退院して家にもどってきた時、チャマは赤ちゃんが来た事をとても喜んでいた。

そして赤ちゃんにべったりだった。

布団でいつも一緒に寝ていたし、出かけるときもいつも一緒。

赤ちゃんがしつこすぎて嫌がるときもあったけど、チャマは一年間、娘の成長を見守り続けてきた。

ただただ寝っころがっていただけの赤ちゃんも、今では一人で歩く、立派な幼児になった。

その日の夕方、家族で誕生日パーティーをした。

そして恒例の家族集合写真を撮って、記念に家族全員の手形を粘土にとって焼いた。

もともとは、赤ちゃんの手形足型をとるものなのだが、ワンコたちも一緒にとった。

主人も私も、口にこそ出さなかったが、チャマの生きていた証を形にして残したかった。

お別れが近い事を感じていた。。。

最初の大発作の日からそうだったが、昼間はなんとなく調子がよくて(寝たきりだったが)、夜は調子が悪いというのを繰り返していた。

それは日に日にひどくなり、一晩中叫び続けるようになっていた。

2009年5月10日(日)

朝起きると、チャマの顔の下に敷いていたバスタオルがよだれでビショビショになっていた。

毎朝恒例の、おしっこしぼりをしようと膀胱を触ると体が熱い。

なんとなく熱い、じゃなくてあきらかに熱かった。

熱を測ると41度3分

濡らして絞ったタオルで冷やし40度ぐらいまで下がった。

でも、口をイーと横に開いていて大きく呼吸し、とても苦しそうだった。

この日も運悪く、病院は休診の日曜日

それでも先生の携帯に直接電話したところ、朝から手術が1件あるので14時に診てもらえる事になった。

この日、強制給仕であげたご飯をそのまま吐いた。

もう体がご飯を受け付けなかった。

水はシリンジで飲ませたが、そのまま垂れ流す状態だった。

病院について、すぐ診察

おそらく抵抗力が弱っているところになんらかの感染症をおこしたのでしょうと。

脱水を起していたのですぐに点滴と薬の投与

熱も少し下がっていた。意識もはっきりしてきた。

「熱があるうちは望みがある。」と先生に言ってもらって安心した。

先生と話すととても落ち着く。

「明日また見にいくから。」と言う事で帰宅した。

16時  状態は落ち着いていたので1時間ほど外出

主人は家で仕事だったので、合間に見てくれていた。

17時15分ごろ帰宅した。

チャマは眠っていた。

良かった。。。 生きてる。

昨日、チャマの為に購入した、介護用ベッドで一緒に横になった。

するとチャマの呼吸がだんだん弱くなってきてとまった気がした。

「チャマ!!??」

家の玄関で仕事をしていた主人をすぐ呼びにいった。

「チャマが呼吸してない!!」

部屋に戻るとチャマの呼吸が戻っていたが、もうチャマは虫の息だった。

お迎えがすぐそばまできていることを確信した。

苦しそうに苦しそうに、でも精一杯頑張っていた。

チャマはこんなに強い子だったんだ。

私はチャマを抱っこし、

「チャマ。頑張ったね。。。ママをおいてもう逝っていいからね。大丈夫だから。。」と号泣した。

その後何度も何度も止まっては持ち直す呼吸

「天国で待っててね。。。」

そう背中をトントンしていると、チャマは静かに息をひきとった。

2009年5月10日  18時4分

赤ちゃんの1歳の誕生日を見届けて、ママっ子だった茶豆らしく、『母の日』に天国へと旅立ちました。

|

« 発作の記録④ | トップページ | どうしてあの時。。。 »